努力は素晴らしいという幻想
努力ってなんだかよい響きですよね。
素晴らしいかったり美しかったり、応援したくなる気持ちがでてきます。
努力ってそんなに素晴らしいですか?
私は疑問でなりません。
努力絶対主義から脱却せよ!
子どもだろが大人だろうが、努力することは当たり前のことです。
褒められるようなことではありません。
だいたい努力というものは過程であり、手段にすぎせん。
私が伝えたいのは、努力を目的にするなということです。
努力すること自体が目的になってしまうと本末転倒です。
成功することよりも、努力に目がいってしまうからです。
「上手くいかなかったけど、努力したから偉い」
これはもはや意味不明です。なんのために努力しているのか目的を見失ってしまっています。
上手くいかなかったのであれば、その理由を分析し、次につなげようとしなければ無意味な失敗となってしまいます。
過程主義の学校と結果主義の社会
学校ではどうしても過程に注視する必要があります。
例えば
・毎日勉強したけど60点しかとれない子ども。
・あまり勉強してないけど100点をとる子ども。
学校ではどちらかというと前者の評価が高くなります。
ですが社会に出るとこれが一気に反転します。
例えば
・ちゃんと仕事をしているが10万しか売上がない営業マン。
・大して頑張っていないが効率よく100万売り上げる営業マン。
企業で評価されるのは後者です。
ここの評価が一気にズレるからいきなり社会に出ると戸惑いを感じてしまうのです。
結果を残せる努力が必要!
私は努力を全否定しているわけではありません。
最良の結果は最良の努力から生じると思っています。
つまり、努力するなら努力のベクトルを合わせるべきだと思っています。
ただ漠然と努力するのは無駄な努力。
目標を明確にし、目標に対して正しい努力を継続することが大切なのです。
ただなんとなくの努力を褒めてはいけません。
正しく努力していたら、その時にしっかりと褒めてあげるべきなのです。