お金と教育
日本では様々な教育が子どものうちからなされます。
ところが、社会に出てから必須となるにも関わらずほぼ禁忌とされ触れられないものがあります。
それがお金に関することです。
なぜ日本では金融教育が行われないのでしょうか?
お金を稼ぐことは悪なのか?
お金の話ってなかなかしないですよね?
なんだかしちゃいけないような、タブーな感じがしません?
そのお金の話はタブーという考え方が、金融教育を遠ざけているような気がします。
大人はお金を稼ぐために働いているのに、子どもがお金の話をすると大人はいい顔をしない。
なんだかすごく違和感を感じませんか?
金持ち=悪という負のイメージ連鎖
世間一般ではお金持ちと言うと、なんだか負のイメージがあります。
例えば、有名財閥のお嬢様で学校一の才女。生徒会長を務め、モデルにスカウトされるような美女。
なんとなくいい感じしませんよね?
いけすかないというか何というか…
ですが、それがもう印象操作にハマってる証拠です。
要は自分よりも優位に立つ人間に対する羨望、嫉妬が勝手にマイナスイメージを先行させてしまっているのです。
つまり、お金を持っていることは悪いことではありません。
それは社会に出たら当たり前のことです。
であれば、教育内でもお金に対する正しい知識を伝える場が必要なのです。
現代社会を生き抜くための金融教育を今こそ。
現代社会において、お金を稼ぐ手段は多岐に渡ります。
汗水垂らして労働の対価としてお金を得ることは、選択肢の一つでしかありません。
ところが伝統的に日本では、汗水垂らした労働が美学とされ、他の手段は異端だとして排除する傾向にあるように感じます。
お金を稼ぐとはどのようなことなのか?
どのような手段があるのか?
その点を正しく伝える現場が今の日本にはほとんど存在しません。
そこに気づかない子どもたちが無知な大人として搾取される側に回ってしまうのです。
今こそ、勇気をもった金融教育を始める時期に来ているのかもしれません。
【学力向上】歴史は暗記しても点はとれない。
親世代からすると社会という科目には、暗記すれば点がとれる!という印象をお持ちの方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
実はその考え方は、化石並みに古い考えだということを知っていますか?
もし自分の子どもに「社会なんて暗記すりゃ点とれるだろ」なんて言っているのであれば、即刻改めるべきです。
そのままでは、親のせいで子どもはいつまでも誤った認識を持ったまま勉強に取り組むことになってしまいます。
暗記はゴールではなくスタート。
暗記しても点がとれないと言いましたが、決して暗記の必要がないわけではありません。
暗記は非常に重要なファクターのひとつです。ただし、今と昔ではその活用の仕方が異なるということです。
〈過去〉
覚えた用語を書けばよい。
〈現在〉
覚えた用語の内容や背景、理由を説明出来ないといけない。
つまり暗記が不要なのではなく、むしろ必要不可欠なものです。
ただし、暗記だけでは意味がないということを理解しなければいけません。
大切なのはその用語は何なのか、背景は何か、何故起きたのかなどを正しく理解し、説明できる能力だということです。
親世代より難易度は上がっている。
まず過去と現在で、社会の難易度は上がっていることを理解する必要があります。
もはや暗記だけでは成績が上がらない科目になっています。
用語説明や理由説明など、記述できるような勉強法が必要です。
アウトプットしながらインプットする。
社会の効果的な勉強法として、問題集を反復して解くというものがあります。
いちいち教科書にアンダーラインを引いたり、内容をノートにまとめたりするよりもよっぽど効果的な手法です。
ここで意識してほしいのは、用語の内容を確認することです。
楽市楽座とは何なのか?その結果どのような影響があったのか?など、このようなことを教科書を用いて確認します。
これを繰り返すだけで、社会苦手から脱却することが可能です。
現在の入試の出題方式を正しく理解して、正しい勉強を行いましょう。
グローバル教育の虚像
グローバル教育や英語の重要性がよく叫ばれています。
もちろん、私もグローバル教育は大切だと思っています。が、正しく理解している日本人がどれだけいるのかは疑問が残ります。
英語を話せる人は世界中にいる。
グローバル教育=英語と結びつけるのは流石に安直すぎるとは思いませんか?
英語を公用語にしている国は合計50か国、約6億人が英語を公用語として使っています。
それ以外でも英語を話せる人は多数いますから、英語を話せることはステータスでも何でもありません。むしろ最低限のスキルです。
いまどき日本くらいじゃないですか?グローバル教育の名で、単純な英語教育のみに力を入れている国は。
大切なのは英語を話せることではありません。
本当のグローバル教育を目指すのであれば、英語の習得はスタート地点に他ならないからです。
日本を英語で伝えられる日本人になろう。
海外の方が知りたいのは日本の文化や伝統です。
あまりに海外に目を向けるあまり、自国を知る機会を逸しているような気がします。
我々日本人はどれだけ自国の文化や伝統を知っているのでしょうか?
日本の世界遺産を全て紹介できますか?
日本の国鳥は?なぜその鳥が国鳥なのか説明できますか?
海外の人に紹介するべき代表的な食べ物は?観光地は?
海外に目を向けることは大切です。
俯瞰的な視野を手に入れるためにはとても重要なことでしょう。
ただし、世界が欲しているのは英語を話せるだけの人間ではありません。
自国の文化や伝統を理解し、世界へアウトプットできる人材こそが、今後広がるグローバル社会にとって必要な人材となるのです。
何度も言いますが、英語を話せることは世界へ出る最低限の要素にすぎせん。
英語が話せる=グローバルという思想こそが、日本のガラパゴス的発想だと理解する必要が今こそあるのです。
スマホを持つ子どもが悪か、スマホを持たせる親が悪か。
最近、各所の研究で「スマホを使いすぎると学力低下を引き起こす」という結果が話題になっています。
"スマホが学力を破壊する"これだけの根拠 | プレジデントオンライン
脳が破壊されている?前頭葉の活動が低下している?
様々なことが言われていますが、もっとも大きな要因は「ながら勉強」にあるのでは?と思っています。
集中力欠如が学力低下を引き起こす。
「ながら勉強」の最も深刻な問題点は、「集中力の分散・欠如」にあります。
特にスマホでLINE等SNSを多用している学生には、かなり深刻な問題です。
勉強する→通知が来る→返信する→勉強する…
このループが「勉強しているのに成績が上がらない」という残念な層を作っています。
ここでは勉強に対する集中力が低い上に超短期間で勉強が中断されているため、思っているほど勉強に対する効果が見込めません。
メリハリなき勉強が、効果も出ない無駄な勉強時間を生み出してしまっているのです。
勉強するときは勉強する、休憩するときは休憩する。
当たり前のことですが、これがちゃんと出来ている子どもはどれくらいいるのでしょうか?
親の責任はいずこ?
スマホを持っているのは子どもですが、スマホを与えているのは親であることがほとんどです。
親の責任をないがしろにして、子どもだけを責めるのは筋が違いますよね。
買い与えたのなら、親が責任を持って管理する必要があります。
もちろん理不尽な管理は子どもの反発を招くので、子どもも納得するような家庭内のルール作りをする必要があります。
ルール① スマホを使う時間を具体的な時間で設定する。
例えば夜8時から9時までは使ってOKなど、具体的な時間を決めてその中で使わせるのはひとつの手法です。
ルール② 勉強する時間を具体的な時間で設定する。
ルール①だと必然的にスマホをいじる時間が短くなりがちです。そこで、勉強する時間を強制的に設定する手法も有効です。◯時間といったあやふやなものではなく、夜8時から10時まではスマホをしまって勉強する、など具体的な時間まで決めると、より効果が高くなります。
ルール③ 違反したときの罰は明確に。
ルールを決めたとしても、それを破ったときに何も罰がなければルールとしての機能が破綻します。
ルールを決めると同時に、例えば勉強時間になっても勉強を始めない場合に1週間スマホを没収する、など。
完全禁止ではなく、上手な付き合い方を学べ。
ICT教育が叫ばれる昨今の教育業界において、スマホ完全禁止というのは非常にナンセンスに感じます。
また完全禁止にしたところで、いずれは触れるもの。であれば、若い世代の内から上手な使い方を学ぶべきではないでしょうか?
大人の役割は子どもとスマホを完全分離することではありません。
スマホとの上手な付き合い方を子どもに教えることこそが、大人の役割なのではないでしょうか?